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インターノット崩壊論者の独り言

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2017-12-13 インターネットの子供たちへ

- 子供たちに知っておいて欲しい話がある。

昔インターネットと呼ばれたネットワークがあったんだ。

インターネットよりも昔の時代には一握りの巨大な電話会社たちが提供する通信サービスしか人々は利用できなかったんだ。何が出来るかは彼らが決めていたんだ。決められたこと以外はやっちゃいけなかった。罰せられたんだ。

昔はパソコンというものもなくて、コンピュータはお金のある組織の一部の特権的な技術者だけが扱うことを許されていたんだ。

だけど45年ほど前にイヴァン・イリイチという人が道具は誰もが自由に使えてお互いを助け合えるもの (コンヴィヴィアリティのための道具) でなくてはいけないと人々に説き、同様に考えた人たちがパーソナルコンピュータ(パソコン)を生み出したんだ。アラン・ケイの書いた論文 "あらゆる年齢の「子供たち」のためのパーソナルコンピュータ" とか読んでみて欲しい。

そしてパーソナルなコンピュータを使って誰とでも自由にいろんなデータをやり取りしたい、自由なコミュニケーションがしたいという人たちが集まって新しいネットワークを生み出したんだ。それがインターネットだったんだ。

彼らはまず自分の会社や大学で自分たちのネットワークをつくった。そしてそれらを寛容な合意形成をしながらお互いにつなぎ合ってどんどん大きなネットワークにして行ったんだ。手を繋いでみんなで輪をつくるように。そのネットワークには中心はなかった。それぞれの人たちが自分で作ったネットワークを互いに繋いだだけだったからね。

そのつながりあったネットワークはインターネットと呼ばれるようになり、そこでは他人に迷惑をかけない自律と、話し合い譲り合い困った人を助ける協調と、そして全体を支配する人のいない分散した管理が尊ばれたんだ。通信ソフトウェアもそのような「自律分散協調」の動作をするように作られていたんだ。

誰かがこんな通信をしたいと思いつくと、彼はソフトウェアを書き、それを皆に分け与えた。それを気に入った人はそれをまた周りの人に配り、使い方を教え、使える人が増えて行った。ほとんどのソフトウェアは自由に改良できるようになっていて、人々は好みにあったソフトウェアを自由に作り出し選択できたんだ。

でも結局そういうインターネットは理想的な世界を作り出す前にうまく行かなくなったんだ。インターネットってのは幻想だったのかも知れないね。

通信の秘密とやらのおかげで自律と協調ができない人たちもお金を払えば合意の輪に入れるようになってきて、どんどん全体の協調が崩れていったんだ。

そしてそれに対抗しようとする頭の良い人たちのおかげで仕組みが複雑になりすぎたんだ。技術は大きく複雑になると管理できなくなって人々の手を離れるんだ。頭の良い人たちに管理してもらわなくちゃいけなくなる。頭の良い人たちがそうやってどんどん主導権を握るようになるんだ。主導権とりたい人たちは頭良いよね。

最初自分で自由にやるのが楽しかった人たちも、協調できない人たちや複雑になりすぎた技術が手に負えなくなってくると、誰かに任せた方が楽だと思い出すようになる。

そのうち対価をもらって自由な人たちを手助けしていた人たちにも手に負えなくなってくる。手が掛かりすぎて商売にならなくなるんだ。もともと技術がないのに適当にごまかして引き受けていたりした人たちも多かった。残念なことだね。

そして失敗が重なると安全・安心じゃないといわれて、技術力のない人たちの居場所がなくなっていった。国もインターネットはインフラだ、安全・安心が大切と言っていろんな規制を始めようとしている。

安全・安心な仕事を引き受ける人がいなくなってくると仕事の対価はどんどん高くなる。高いのに十分な技術を持った人は見当たらないという状況が生まれてきちゃった。

インターネットをインフラにしたいなんていう無理な相談しているのだから当たり前だよね。インターネットを構成している君の学校、会社のネットワークがインフラだと言っているに等しいんだから。そんなの担えきれないよね。

そこへ大勢まとめて面倒みるから安く出来ますよ、我々のやり方に従ってもらいますけどね、というところが出てくると皆はそこに頼まざるを得なくなってきちゃった。

こんな風にして気がついたときにはもう大勢まとめて面倒みているところにしか優秀な技術者の居場所はないという世界になってしまっていたんだ。絶滅寸前の古い技術者も巷にちょっとだけ生き残ってはいるけどね。大事にしてあげてね。

そして世界は情報の消費者ばかりになり、中央のコンピュータに日々の行動を自ら監視してもらうようになり、コンピュータの提案に無意識に従うようになりつつあるんだ。(星新一の『声の網』って読んだことあるかな。あんな風になってきてるの気づいているかな。そしてその方向は加速してる。皆が見えない塀の中に閉じ込められ管理されつつあることに気づいて欲しいな。

人々は与えられるもので満足してしまうから、自由のなさをなかなか不自由に感じられなくなってしまう。塀の中ではそれなりに幸せなんだろうね。むしろ皆と同じものを使わないでいると息苦しくなるんだ。管理された技術は社会を技術に合うように変えちゃうからね。

自律分散協調を尊び自由を求めたインターネットはもう存在しないんだよ。今あるネットはなんと呼べば良いんだろう。インターノットかな。

それでも塀の外には自由はあるんだと信じている人たちはまだ残っていて、新しい世界をつくろうとがんばっている。貴重な存在なので応援したいね。そもそも新しいものを生み出す道具を手にする人たちが絶滅しかけているのだし。

自由な人たちに絶滅して欲しくないんだ。自由な世界が崩壊して欲しくない。そんなに管理されたい? インターネットが何だったかをぜひ学んで欲しいな。このリンク先とか参考にしてね。そして戦おうよ。自律分散協調の旗を再び掲げ、自由のための道具を手にして。それこそがネットリテラシー、情報リテラシーだ。

p.s.

『インターネットの子供たち』を書かれた故三宅なほみ先生に本エッセイを捧げます。また、「子供/保護者/学校」×「情報リテラシー」 Advent Calendar 2017 の13日目のための記事でもあります。

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