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インターノット崩壊論者の独り言

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2015-12-22 Advent Calendar 2015 「子供」x「アプリ」+ α

- 子供たちを消費者にしてはいけない

Advent Calendar 2015 で「子供」x「アプリ」+ αというお題を頂いているのだが、アンチアプリ、アンチスマホ (情報端末一般) な話をしたいのでご勘弁頂きたい。

楽しいアプリはたくさんあるが、どれも概ね作者が想定した範囲内の機能でしか遊べないし学べない。まあ中には motoki さんが「子供」×「アプリ」+「α」 Advent Calendar 2015 の16日目で紹介しているように、限られた制約の中で生み出す力を備えている素晴らしいアプリもあって頼もしかったりもする。そういったものでなくともうまく利用すればある程度は創造力を鍛えることのできるアプリも探せばいろいろ見つかるだろう。

しかしアプリという箱庭の中で生まれた創造力はどこで羽を広げればよいのだろう。スマホやアプリは改造も何ものも付け足すことを許していないだろうし、ハックするにしても子供にとってハードルはかなり高い。そもそもこれからの子供たちは半田コテ (いや昨今はブレッドボードか) もパソコンにも触れずに育つかもしれず、改造したり何かを作り付けたそうというアフォーダンス (環境が行為を示唆してくれること) をスマホから与えられる余地はほとんどない。そしてそんな意思、意欲が芽生える余地もなくアプリは子供たちを楽しませてくれるだろう。

一部の稀少な子供は頼もしい開発能力を身につけてくれるかもしれない。しかしやはり需要や制約からアプリを再生産するだけになるだろう。スマホに代わるなにかを生み出してくれるだろうか。ジットレインが『インターネットが死ぬ日』で看破したように、インターノットは生み出す力を殺す方向へ向いているのだ。

レイ・ブラッドベリの『華氏451度』には書物が焼かれテレビにより人々が不能化され、疑問も持たずに制度の中に閉じ込められるディストピアが描かれている。日本でもかつてはテレビによる総白痴化が警鐘されたが、私はといえば、、、

 幼稚園の頃、テレビを見て道路や広場へ出て近所の子たちと「マグマ大使」ごっこなどして大いに遊んだ。

 小学生の頃、テレビを作りたかったが難しかったのでテレビを分解してラジオを作った。

 中学生の頃、テレビは作れなかったがピンポンゲーム (ICを用いたキットで可変抵抗器を回してパドルを操作する) を作ってテレビに繋いだ。

 高校生の頃、テレビはやっぱり作れなかったがテレビを分解してフライバックトランスを使ってイオンクラフトを飛ばした。

 大学生の頃、コンテンツを見るだけのテレビを作ろうとも思わなくなり、テレビには部品をかき集めて作ったパソコンをつないだ。

今の子供はスマホを分解しても多分何も作れないだろう。叱られながら新しいスマホを買ってもらうのが関の山だ。中にはパソコンを与えられて将来に期待できる能力を発揮してみせてくれている子供たちも見かけることはできるが稀少な存在だ。日本はもう何十年も前から消費社会化が進み、技術立国の名には蜘蛛の巣が張りかけている。技術が高かった故にそういう社会を生んだのだから皮肉なものだ。技術を社会に適用する際にはもっと自律的で持続的な方向付けが必要なのだろう。

子供たちにはもっと何か別なおもちゃが必要だ。壊せるおもちゃ、何か付け足せるおもちゃ、真似してつくることのおもちゃ、もっと面白いものを自分でもつくってやろうと思わせるおもちゃが。

イヴァン・イリイチが『脱学校の社会』にこう書いている。

「人は、制度が自分のためになしえないことがあるなどとは考えることができないので、何でも求めるという欲求不満の原因になる力を発達させてきた。万能の機械に取り囲まれながら人間は、自分の道具の道具になりさがっている。... まったく突然、われわれは、自分自身が自分のこしらえたわなの暗やみの中にいることに気づくのである。」

また、彼は『コンヴィヴィアリティのための道具』の中でこうも書いている。

「豊める国々の囚人はしばしば、彼らの家族よりも多くの品物やサービスが利用できるが、品物がどのように作られるかということに発言権を持たないし、その品物をどうするかということも決められない。彼らの刑罰は、私のいわゆるコンヴィヴィアリティを剥奪されていることに存する。彼らは単なる消費者の地位に降格されているのだ。」

子供たちを消費者にしてはいけない。『華氏451』やジョージ・オーウェルの『1984』のようなディストピアに向かわないために。


p.s. ティンカリングという世界があるらしい。いいね。


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