お世話になっている知人からAdvent Calendar で「子供」×「ネット」というお題への参加を誘われたので、つらつらと子供たちにとって大切なことを考えてみました。
まずは、子供たちにタブレットやネットを与えることが必要だと言っている人たちが何を望んでそう考えているのかを推察してみました。
昨今ネットリテラシー教育が必要だ、リテラシー! リテラシー! と叫ばれていますが何か違っている気がしています。今のインターノットはとてもデタラメな世界です。消費者保護の観点からの規制と呼べるものはほとんどなく、脆弱性だらけ、インチキだらけのサービスが跋扈し、嘘の情報がまき散らされている世界です。どれだけデタラメな世界かはこのブログの過去の記事を色々読んでみてもらうのもいいでしょう。こちらもどうぞ。(私の記事もデタラメかもしれませんが w)
こういう世界で利用者側が頑張ってトラブルを避けて行くサバイバル能力を身につけるというのがリテラシーだというのでしょうか。スリリングなワイルドウエストですね。
これからの若い人たちにはインチキなサービスへの対応能力なんかではなく、もっと大切な能力を身につけて行ってほしいと私は思っています。これからの世界は今のままでは誰かが提供してくれる便利なサービスを消費するだけの社会になっていきそうに見えます。それは監獄のような社会かもしれません。イリイチは与えられたもので満足させられる消費者という存在は囚人と同じなのだということを40年前に指摘しました。「便利」という概念はそのサービスを使わないと不便な社会を作り出す事でもあると彼は指摘しています。
かつてインターネットは自律分散協調のネットワークであって、イリイチのいう「コンヴィヴィアリティのための道具」を目指していたと思います。しかし今のインターノットではその理想は崩壊しているように見えます。そのインターノットも自律と協調の喪失と集中化が災いし機能自体が崩壊しつつあるように見えます。それをくいとめようとして管理を強めていくならば、その行く先に管理社会のディストピアが見えませんか? インターノットは崩壊すればいいのです。そんなインターノットへの適応能力なんて身につける必要があるでしょうか。そんなことで疲弊させられることなく、もっと大切なことを学んで欲しいと思いませんか?
私が若い人たちに期待したい能力は与えられるものへの適応能力ではありません。自分たちに必要なものや価値を自分たちの頭で考え自分たちで作り出していける能力を期待したいのです。そういう能力を身につけるためには自由な道具、自由な時間、自由な発想が許される場が必要です。今の学校やインターノットにそれを期待できるでしょうか。親はそのあたりを考えて子供たちに道具、時間、場を与えてあげてやって欲しいと思います。親の偏狭な考えで子供を枠にはめないことも必要でしょうね。
未来の子供たちがコンヴィヴィアルなインターネットを再興してくれることを期待しています。
この記事は『「子供」×「ネット」 Advent Calendar 2014』(http://www.adventar.org/calendars/450)の13日目の記事です。
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■ わたやん [「自分のほしいものを手に入れるようにしなさい。そうでないと,他人が与えてくれるものが好きになる」という言葉を思い出し..]
■ tm [Windowsとかインターネットを使うことを強制されるような世界のようですね。すくなくとも日本は。(私は抵抗していま..]